杏さん主演の『かくしごと』という邦画を観た。Amazonプライムビデオでレコメンドされてたから、なんの予備知識もないままなんとなく再生を押した。
映像作品のサブスク系で、たいていこういう観方をした時、めちゃくちゃおもしろいか最後まで観れないかの両極のどちらかになることが個人的には多い。
今回、後者のほうになりかけたけど、ギリギリ前者だった。
まず、『かくしごと』がトリプルミーニングっていうところで、“ただでは終わらない感”が漂ってたから、途中の救いのなさや登場人物の身勝手さにも耐えられた。
- 隠し事
- 書く仕事
- 隠し子と
親と子の間の隠し事、友達(?)の隠し事、どこぞの誰かもわからない子どもの隠し事……
何もかも赤裸々に開けっぴろげにすることが正義とは思わないけど、心の奥底をひた隠しにする遠回りが、世の中のほとんどの人間関係の問題を生じさせてる。
僕は昔から、ウソをつく親に「ウソをつくな」と怒られて育ったから、人一倍ウソが苦手。笑いを取る時のウソ以外はたとえ優しいウソだったとしても、もし信頼してる人につかれた場合は迷走神経反射が起きて意識を失うくらいストレスを感じて、その後に知恵熱で39~40℃くらい発熱してしまうほど。
でもこの作品で、「本当に時と場合によってはウソが最適解な場合もあるかも」と感じた。
そして、書く仕事。千紗子(杏)は作家をしている。作家は、ジャンルにもよるけど創作の場合はある意味ウソつきとも言えるかなと。
ライター系は、現代ならPC1台あればどこでもリモートワークができて便利。でも裏を返せば、仕事を言い訳にできなくなるパターンも増える。
劇中の介護なんかもそうで、「仕事が忙しいから親の介護ができない」なんて言い訳が役所や友達周りに言えなくなる。
反対に仕事先にも、介護が忙しいから仕事ができないとも言いにくくなる。
リモートワークとフレックスタイムは、環境さえ良ければ最高の働き方だけど、時と場合によっちゃ逃げ道を塞がれるから、リソースが潤沢にあるうちにちゃんとリスクヘッジをしないと「こんなはずじゃなかった」がいくつも訪れる未来に生きなきゃならなくなるなぁと、恐怖を覚えた。
最後に、「隠し子と」。本来の隠し子とは意味が違うけど、誰にもバレない、認知もないって意味では合ってる。
需要と供給の一致、これ最強なり───に尽きる。
ガチイケメンな拓未(中須翔真)の視点で言えば、
- DVで殺されかけたところを、
- 見ず知らずの酔っ払いおばさんの飲酒運転で車にはねられて、
- その助手席には「イヤイヤ介護のために地元に帰ってきたおばさん」が乗ってて、
- かつて子どもを水難事故で失ったトラウマ持ちで、
- 失った子の穴を埋めるために危険運転過失致傷の隠蔽をして、
- 自分を助けて「お母さんだよ」とウソついてきた
───という、明らかに踏んだり蹴ったりでヤバいシチュエーションやん。
だけど拓未からしたら、「これはチャンス……!」ってなもんだったんだろう。どれだけ凄惨なDVを受けてたかはわからないけど、記憶を失ったフリして、車にはねられた事も忘れたことにして、別人として生きていくほうが絶対に幸せだと直感的に判断したんやと思う。
千紗子の嘘と拓未の嘘、お互いがwin-winの関係ならその嘘はある意味で正義なんだろう。
大人はいくらでも逃げられるしやり直しが利くし、どうすればいいかわからないと言ってもこれだけ情報が民主化されてる時代にはただの言い訳でしかないけど、唯一、未成年がいじめや虐待から逃れる正攻法は皆無と言っていいくらい思いつかない悲惨な時代だから、この場合に限り、「嘘も方便」が実用的なのかなと。
つまり、千紗子と親の関係には全然感情移入できないし、どう繕ったって関係性を深めようとしなかった過去の互いの怠慢でしかなくて、親の教育の歪みでしかないから、今さら記憶がないとか本当は不安で感謝もしてるとか言ったって「なに調子の良いこと言ってんの」で終了なんだけど、小さな子ってなると、話が違ってくる。
自分の子だろうがよその子だろうが、地獄のような環境で過ごしてたらそこから逃げる術がないんやから、どうにかして助けたいと思うし、優しくしたいし幸せな人生にしてあげられないだろうかって考えになる。法律に則っていては手遅れになるし、かと言ってサクッと毒親をコ□しちゃうと、我欲を満たせない。(子どもとしては足かせがなくなるだけで相当生きやすくなるからいいけど)
そうなると行き着く先は、お互いがお互いを助けるために口裏を合わせて生きる───に尽きるなぁ、と。
拓未が最終的にああいう行動に出られたのも、本当に自分を愛してくれて楽しい日々を提供してくれる大人と出会えたからやし、守りたいものがあると人は自分を幸せにするために、難しい決断でも咄嗟にできるようになるもんやと考えると、最近の自身の生き方を見直すきっかけにもなってよかった。
ただ、超現実的に考えると、常日頃から録音なり撮影なり、即座に実行できる癖をつけとくと、もっとスムーズに事が運んだんじゃないかと思うとともに、何もかも記録するとなったら劇中の危険運転過失致傷の隠蔽もできないことになるから、「記録(記憶)」というものも1つのツールであり、人間が使い方1つで武器にもなれば、猛毒にもなる。本当に、ヒトの知恵や思考に左右されると感じた。
───自分だけが幸せになろうとするのは、一番カンタンで一番むずかしいと思う。
足の引っ張り合いも、一方的な支えきりもダメだけど、ちゃんとお互いに支え合って、相手のために自分をより大切にしようって思える人間関係ってのは、ある意味で「最もいい人間らしい依存関係」。
希少だとは思うけど、嘘が正義になる関係性ってのは、悪くないなと思えた映画『かくしごと』だった。