コミュニティ(場所)づくりにおいて、“何をしてるか”より“何かしてるな”が大切という話。
最近、自身が立ち上げたオープンチャット『ぬんぬんパラダイス』によく浮上してる。承認欲求おじさんよろしく、なんかよくわからんことをトークルームにぶん投げまくってる(ように見えると思う)んだけど、場所づくりやチーム運営で肝心だから、その理由を書く📝
“何をしてるか”はそんなに重要じゃなく、
“何かしてるなぁ”
“そこにいるなぁ”
って認識を生むことのほうが100倍重要という話。
1.秩序は静止、混沌は激変、要はバランス
2.プラトー現象を耐えるとティッピングポイントは必ず来る
3.チームや場所づくりも不二一元論が活きる
1.秩序は静止、混沌は破滅、要はバランス
成長&代謝、つまり変化がないと、秩序が高まって物事は静止する⌛️
かと言って無法地帯やと、収拾がつかずに滅ぶ💀(エントロピー増大)
ぬんパラは、明確なゴールや新規参入を当初は考えてなかったから、代謝がない⚠️
そういう場所や組織でじゃあどう変化を起こすかと言えば、「動かし続ける」。流動性🏃
「え、動かし続けるって大変やん」
と思う人もいるかもしれんけど、そりゃフルパワーでエンジン全開のアクセル全開やったら、どんな組織だって長続きしない💧
何をどう動かすかが問題なんじゃなく、「動いてるかどうか」が大切やから、浮上してよくわからんことをトークルームに投げてるってこと。
焚き火をキープするために薪をくべてる、みたいな表現が近いかも🔥
薪をくべすぎると燃えすぎるし、足らないと鎮火するから、バランスが大切⚖
これはどんな場所や組織でも同じ。
「でも、明確なゴールや新規参入がないなら、薪を一生くべ続けることになんの意味があるの?🤔」
って疑問が湧くかもだけど、「未来の不確実性こそが価値」やから、焚き火をキープすること自体が「可能性を潰えさせない」って意味で大切🤞
2.プラトー現象を耐えるとティッピングポイントは必ず来る
以前に動画で説明したことがある「シグモイド曲線」というグラフの話やねんけど、別名:成長のS字曲線といって、あらゆる物事はこの曲線の形に進行していく😯
※イノベーター理論の前半部分とも言える

人口動態から病気の進行、学習、ダイエット、人間関係、投資、心のポジ・ネガまで、始まってしまえばなんにでも言える!
「外圧」を加えると、多少は曲線の形が変わるけど、ベースはS字。
外圧ってのは、意志の
- 方向性
- 強さ
- 速さ
の3つのかけ算のことで、積に比例して多少グラフが変形する👍️
Life = Vector * Intensity * Speed
の頭文字をとってLVIS(エルヴィス)理論と僕は呼んでる🕺
存続させるいい意志の力が少しでもあれば、プラトーは過ぎて、
“なんかいきなり化学反応が起こって盛り上がるタイミングがある”
───みたいな感じ。
ぬんパラで言えば、ひょんな素材投下からネタ昇華に至るのも、その一環。
こういう「いい意志」をコントロールするのがヒトは難しいから、会社や家庭では役割や理念みたいなもんが決められてるわけです👨❤️👨(モデリング理論)
つまり、
・未来によき価値がある
・いつどこでどんなかはわからん
・動いてないとそれは100%訪れない
・ムリせず動かし続けよう
ってことなんです(-ω-)
でも、激しく強く一点に集中して動くとアンサステナブルだから、僕はなるべくスタミナ切れを起こさない動き方をしてるという話。
3.チームや場所づくりも不二一元論が活きる
僕が激推ししてるアイデンティティ・クライシス対策として、不二一元論があるんだけど、これはマジで万能。
自己肯定感をMAXにするだけじゃなく、日常のあらゆることに使える。
別名:梵我一如。人も摂理の一部で、存在してること自体が究極かつ根本の価値やから、森羅万象が等価なんだよって哲学の奥義書💮
不二一元論を即・生活に置き換えると、「そこにいる」ってことが大切だよ、になる。
個体の集まりが全体で、個体がいなければそこには場所もチームもない。家庭も仕事も社会も国もないから、「いる」ってめちゃくちゃ大切。
でもここまでやと、いる・いないだけの二元論になっちゃって、
「誰でもいいからそこにいればいい」
って話になっちゃうから危険⚠️
一元論の肝心は、
そ の 人 が そ の 人 で あ る こ と
にある。
これは、いる・いないを問わないから一元論と言う。
この一元論が、行動経済学の単純接触効果(ザイオンス効果)につながる✨️
- 特定の一人がそこに居続けてる
- という“認識”を
- “周囲”がし続ける
これこそが、この話の肝要だ~!!(急にどうした)
存在を周囲が認識してさえいれば、チームや場所は存続するってこと😳縮小や沈静化しても、消滅することはない。
実際にいるかどうかより、ふわっと「いる」と認識してる状態が始まりにして基礎。
ゴールまでの「過程の価値」を最大化する「プロセスエコノミー」にも通ずる⛳️
歴史なんてプロセスエコノミーの最たるもの。とうの昔に当事者なんてみんないなくなってるけど、コンテンツだけは何世紀も残り続けて価値を生み続けてる。
誰もが日本というコミュニティにおいて、織田信長という存在を認識し続けてる。“何をしたか”を具体的に答えられる人より、“何かしたんだな”くらいの認識の人のほうが圧倒的に多いのと同じ。
注意点 認知のゆがみ
チームやコミュニティで、本人はそこに居ると思ってても、周囲は驚くほどまったく認識してないのが現実だったりする。この認知の歪みや矛盾が社会では圧倒的多数で、するとやがてチームやコミュは消滅する😢
だから、想像以上に主体的・能動的・意識的に「認識され続けるためのムーブ」をなるべく多くの人が取る必要がある。
もう一度、冒頭を回収すると腑に落ちるはず。
【“何をしてるか”より“何かしてるな”が大切】
もちろん、明確なゴールがあって、何をするか明確で、ゴールを目指す人がたくさんいる───みたいな形のほうがスケールするし、シンプルやし、賑わうのは確かだけど、そのぶんの牽引力が必要になるからそれはそれで大変だったり。
という理由で、誰にも関係なさそうな壁打ちやら進捗報告みたいなことを、オプチャでちょこちょこしてるというわけです☺
(ゆーて1/100くらいにセーブしてる)
ポイポイ投げてるものに対して、反応がありゃそりゃ人並みに嬉しいしおもしろいけど、行動の動機とは一切関係ないから、イタイと思われて同情で「反応したほうがいいかも」と気遣われてるとほんまにイタイなぁ💧
興味があるものをつまみ食いした時に、テキトーに反応してくれたら、供給精度が上がりますよ的な温度感がいちばん気楽でいいなぁと感じる今日このごろ😪