喘息と鼻炎と耳炎とアトピーのステロイドをやめて満10年が経って思うこと【脱ステ】

喘息と鼻炎と耳炎とアトピー性皮膚炎のステロイドを一気にやめてから、2025年1月で満10年が経ったことに気付いた。大きな節目に、思うことを書く。

“One airway, one disease”という言葉がある。
「一つの気道、一つの病気」という意味。

肺炎も、気管支炎も、喘息も、鼻炎も、咽頭炎も、気道にあるすべての部位の炎症は同じ原因であるという医学の考え方。

だけど、
“One body, one disease”
だなと改めて思う。一つの体、一つの病気。

「総合診療科」という科が増えつつある今日、体はもともと一つのシステムだから、ある一点だけを診ても枝葉末節でしかなく、症状という結果に対策しても原因解決には至らないことに、医療者も気づき始めたのかなぁと思う。

その一方で、総合診療科は、たらい回しの可能性も増える。
慢性疾患の患者(リピーター=カモ)をシェアする、シェアリングカモノミー😂の片棒をかつぐ構造も生まれてしまうから、いたたまれない。

話を戻して、喘息やらアトピーやら以前に、僕は重いアレルギー体質。
どれくらい重いかというと、意図的にすぐ寝たきりになれる障害レベル。
そこに上乗せで炎症系の病気をいくつも抱えてた。

26歳くらいで、乳児期からアトピーに使ってたステロイド(免疫抑制剤)が効かなくなって、どんどんひどくなって、「脱ステロイド」というものを知ってチャレンジした。
脱ステロイドを推奨してるお医者さんは、
「喘息も鼻炎も耳炎も、すべてのステロイドを一気にやめなければならない」
って言ったから、その通りにした。

喘息も鼻炎も、呼吸に関わる=命に関わる。だから、ステロイドをやめるなんて文字通り命懸け。
ステロイド以外の薬(メプチン、トラマゾリン)を併用しながら、苦しいんだけど死なない程度に、耐え続けた。

同時にアトピーのほうもゾンビ化して、耳炎で耳孔が塞がり、打撲性白内障で視界が真っ白の状態だったから、

  • 苦しい
  • 痛い
  • かゆい
  • つらい
  • 聴こえにくい
  • 視えない
  • 不快
  • 不安
  • 不便
  • 焦る
  • 申し訳ない
  • 恥ずかしい

などの「負」の許容値を、体感的に10倍くらい超えてた。
PTSD、抑うつ神経症、不眠もあった上に、最初の頃は仕事も掛け持ちでしばらく続けてたから、余計に。
だから冷静に命を絶つ決心をして、形而上学や不二一元論に辿り着けたんだけど。

ある意味、正気を失ってる状態だったから、いま振り返ってもどこか他人事のように感じる時もある。
だけど、複数の病気を抱えて同時に免疫抑制をやめたことによって、「一つ一つの辛さの認識」が薄まったっていうメリットもあったと今は思う。

つまり、皮膚症状に気を取られてる時は呼吸症状や精神症状、視覚や聴覚の異常のことを考えられないし、逆もまた然り。このことは後に「ヒトはマルチタスクなんて100%できず、できるのは超高速シングルタスクだけ」と気づくきっかけにもなった。

皮膚をなんとかしたくて。写真と文章で記録をつけながら、一般的な栄養学をさらうところから始まり、民間療法に手を出し始め、廃れた西洋医療を再現したりと、症状に向き合う日々。
そうこうしてるうちに半年~一年が経過して、気付いたときには呼吸症状もPTSDも抑うつも不眠も一切なくなって、喘息も鼻炎も耳炎も寛解してた。

もし喘息と鼻炎だけだったら、むしろ向き合いすぎて耐えられずに、寛解し続けることはできなかったんかもしれんって思う。
別の病気を複数抱えてたからこそ、それらを寛解させようとし続けて、呼吸器系の疾患を再発させない習慣が根付いていった感覚。

10年近く、PDCA(計画→行動→検証→改善)を回しまくって、今ではどんな心身の病気でも後天的なら仕組みが同じで、遺伝子欠損がなく腸さえ健康なら根治が可能で、寛解なら誰でも可能ってわかった。
最初の頃は五里霧中・暗中模索・四面楚歌・背水の陣だったから、ただひたすら「やるしかない」でやってたけど、振り返れば複数の病気を抱えた状態で寛解を目指したからこそ、
One body, one disease
に気づけたんだと思うと、不幸と幸福は本当に表裏一体なんだと改めて感じる。

不幸・苦労・苦悩の裏、対極にある同じ大きさの価値に気付くことが、自他を愛することに直結してるとも感じる。
ただ、苦労を美化・正当化して、人に徒労を強いたりすることのないように、気をつけなきゃなと思い直した、そんな寛解10年記念だった。

人、愛、夢、金、健康───持ってるものや抱えられるものの数は20代より少ないけど、いまが人生でいちばん幸せ。不思議なもんだ。

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